| | |
旧バージョンのSafariを使用しているため、mobile.twitter.comにアクセスしています。 詳しくはこちら
若林 宣
東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語り継いでいきたい。
若林 宣 8月9日
返信先: @t_wak
『この世界の片隅に』は面白い作品だと思うけれども、そこを出発点にすると、拾える話が外に出してもはばかりのないものばかりで、そこがある種の限界だと思っている。『はだしのゲン』とはそういう意味でも対極にあるというか。
このざまんぐ 8月9日
返信先: @t_wak
ノモンハンでソ連戦車に火炎瓶投げると燃えて楽しかったのに、ディーゼルになって燃えなくなってつまんねえな、ってなった話とか...
桂ぴんぞろ 8月9日
返信先: @t_wak
学校では教えてもらえない歴史って本来こういうのを言うんでしょうね。
ぶんぶん 8月9日
返信先: @t_wak
うちのばあちゃんが、長岡が真っ赤ですごかったって言ってた😕 他にも配給のために朝4時とか5時くらいから並んだとか 時計かと思ったら時限爆弾で腹吹っ飛んで死んだ人がいたとかも聞いた😕
やまやん 8月9日
返信先: @t_wak
椎名麟三は空襲で燃え盛る町を見ながら「この炎でどれだけの飯が炊けるだろうか」と思ったとの事。その話を丸谷才一がエッセイで絶賛しながら紹介していた。
roundjam 8月9日
返信先: @t_wak
僕のオヤジは今の長岡郊外の出身で、幼い頃みた長岡中心部への空襲を「花火みてーらったいや」(花火みたいだったよ)とよく言ってました。一方で、中心部の出身の母は家が全部焼けてもう少しで死ぬところだったと言っていました。
さてさて 8月9日
返信先: @t_wak
私が見たか聞いた戦時中女学生の話。「私の鼻の形は低く醜い。そんな私の名前はハナ子。皆、私の名前が呼ばれるたびにクスクス笑う。けど戦争が激しくなると誰も私の鼻のことなど気にしなくなった。だから私は戦争が終わってほしくない。もっと続けばいいと思っている」 思いは人それぞれですね。
Aki 8月9日
返信先: @t_wak
今も昔もギスギスしてるなぁ…
青さン、ご主人様は神対応抗日デス 8月9日
返信先: @cochonrouge
そかいさきで酷いいじめを受けたというはなしはよく聞くけど、都会に対する恨み妬みがどうしてそんなに深かったんでしょう