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鏡屋譲二
表現の自由の真骨頂は「自分の気に入らない表現こそ率先して守らなければならない」ではありません「権力・権威の気に入らない表現こそ権力・権威自身が率先して守らなければならない」です。
無茶王⋈ 8月3日
返信先: @squaremania
権力に限定する意味ってあるのでしょうか?
鏡屋譲二 8月3日
返信先: @squaremania
まず第一に“真骨頂”という限定したものについての話だから。 第二にそもそも“権力・権威のない場所では表現の自由を声高に叫ぶ必要がないからです。
鏡屋譲二 8月4日
返信先: @squaremania
表現の自由が国を縛る最高法規である憲法に記されているのもそういう意味合いが大きい。「自分の気に入らない表現こそ守るべき」という言葉には「憲法は国民を縛る最高法規」みたいな勘違いと似たものを感じる。
ふじおかひろき 8月4日
返信先: @squaremania
愛知県知事は権力者でいいだろうけれど、この展示会の美術監督とリベラル様と有象無象の右派の誰が権威、権力なのだろうか。
無茶王⋈ 8月4日
返信先: @squaremania
権力の自制心に常に期待できるのですか?自分の嫌いな表現が権力者に弾圧食らってる時にスルーする場合、自分の好きな表現が権力者に弾圧食らった時に守ってくれる人が居ると思いますか?
鏡屋譲二 8月4日
返信先: @squaremania
だからこそ国民は国家が表現の自由を含む憲法を遵守していいるか厳しく監視し逸脱するようなら正さなければなりません。そのためにも”権力の気に入らない表現”の自由は守られなければならないのです。
無茶王⋈ 8月4日
返信先: @squaremania
民主制国家においては、国民こそが権力ですよ?
鏡屋譲二 8月8日
返信先: @squaremania
国民こそ権力という認識であれば最初に「権力に限定する意味ってあるのでしょうか?」なんて質問はでてこないと思いますが。
無茶王⋈ 8月8日
返信先: @squaremania
あなたが言ってる「権力」って国民(特に自分)の外部にいる第三者ですよね?でなければ「国民が権力を監視する」って発想は出てこない。実際には国民、特に自分が「傲慢な権力者」足り得ること自覚して「自制」しなければならないのですがね?故にこそ、「自分の嫌いな表現であれ」と言う自制が必要
鏡屋譲二 8月8日
返信先: @squaremania
だからこそ”真骨頂”という言葉を使ったんだが…”公権力”と国民一人一人が持ってる”権力”の圧倒的な非対称性をどうしても認めたくないようです。
無茶王⋈ 8月8日
返信先: @squaremania
反論になって無いと言うか、こっちの言い分を追認してますよそれ? 結局、権力と言うものを自分以外の第三者だと認識してる訳で。 その公権力も民主制国家では国民が選ぶのですよ?
鏡屋譲二 8月8日
返信先: @squaremania
追認もなにも最初から”否定”はしてない。
無茶王⋈ 8月8日
返信先: @squaremania
ならばこっちの言い分を否定出来てない訳で、なおさら反論になってませんね
鏡屋譲二 8月8日
返信先: @squaremania
国民に権力があって公権力は国民が選ぶものであっても一旦選ばれた公権力と国民一人一人の権力では圧倒的な非対称性があるってこと。
無茶王⋈ 8月9日
返信先: @squaremania
個々人が弱かろうと数は力です。そして、あなたが恐れている公権力も、好き勝手出来る訳では無く、基本は民意の奴隷です。選挙に落ちればただの人なので。 故に権力が表現規制を目論む時には、その表現規制を支持する国民がそれなりの数います。あなたがそのような表現規制支持者になるかも知れません
鏡屋譲二 8月9日
返信先: @squaremania
憲法とか法の支配とか公共の福祉とか勉強しましょう。
きゃしゃん@てつや 8月9日
返信先: @squaremania
よく見ておきましょう。こういう風に表現の自由に貴賤、優劣を唱える人は、やがて人権にも優劣を唱える事になる。「本を焼く者は人も焼く」の体言です。  
鏡屋譲二 8月9日
返信先: @squaremania
"貴賤、優劣”なんて唱えてないのにね。それにしても世の中に”人権にも優劣を唱える”言葉が跋扈し、そんな言葉も「表現の自由の名の下に守るべき」って主張が大手を振ってまかり通ってる現実が見えているのかな。
きゃしゃん@てつや 8月9日
返信先: @squaremania
稚拙な言い訳唱えるだけ時間の無駄ですよ?そして、今君の言動が批判されはしても自由が認められているように、「人の人権に優劣を唱える」言動であろうが、ただの主張である限りはそれを唱える自由を剥奪してはいけない。