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四ッ谷龍
選考委員とか選者とか、できるだけやりたくない。他人に対する評価なんて、本質的にむなしいものなんだ。 裕明賞は裕明の賞だから引き受けて、必死にやっている。これは別のもの。 俳句の世界では、選者をやりたい人とか俳句地図を作りたい人がいっぱいいる。好きにやればと思う。
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上田信治 17 Jun 18
Replying to @leplusvert
>他人に対する評価なんて、本質的にむなしいもの 作品に対する評価ではなくて? 他人を評価したいという欲求は、それは、虚しい望みでしょうけれど……そんなへぼい人が「いっぱいいる」ように、四ッ谷さんには見えるんですね?
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四ッ谷龍 17 Jun 18
Replying to @ueda_shinji
へぼい人かどうかは存じませんが、人を評価したり指導したりする側にまわりたがる方が大勢いるとは感じますね。
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上田信治 17 Jun 18
Replying to @leplusvert
作品を読むこと、それを評価することは、俳句にとって必要な仕事です。四ツ谷さんは、その仕事を、なぜ「他人を評価すること」であると受け止め、虚しいことだと思われるのでしょう?
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四ッ谷龍 17 Jun 18
Replying to @ueda_shinji
作品を読むのは重要なこと。 評価するのが重要かどうかはあやしい。 少なくとも、評価すること(相対的な順位づけ)が最終目的ではないと思いますね。
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上田信治 18 Jun 18
Replying to @leplusvert
評価とは「順位づけ」である、と思われているんですね。そして、それは「評価する側にまわりたい」という欲求によってなされると。それは、ひどい認知のゆがみだと思います。
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上田信治 18 Jun 18
Replying to @leplusvert
評価というのは「良し悪しを言う」という、それだけのことです。それは、俳句のために言うのです。優位性の確認の欲求(マウンティングってやつですかね?)のために、ではない。四ッ谷さんは、以前「俳句は、俳句の神さまに向けて書く」と、言われていたじゃないですか? それは自分もまったく同じで
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上田信治 18 Jun 18
Replying to @leplusvert
…マジでそう思ってるんですけど、評価すなわち「良し悪しを言う」ことが、必要なのは、それが神さまを、あらしめるために必要だからですよ。そういう共同性の創出なしに、詩が可能だとは、自分には思えません。四ッ谷さんが、そういう使命感なく、裕明賞の選考委員をされているのだとしたら驚きです。
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上田信治 18 Jun 18
Replying to @leplusvert
自分は、アンソロジストとして、俳句地図製作者として、あるいは時評の書き手として「評価する側にまわりたい」という欲求で、何かを行ったことはない。というか、評価する「側」という言葉の意味が分からない。何がきっかけで、四ッ谷さんに元ツイートを書かせたのか分かりませんが…
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