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k_hosaka_bot
保坂和志さんの書いたもの、しゃべったことからの抜粋(95年頃からごく最近のものまで)を朝昼晩に自動でお送りしております/ときどき関連RTもします/作成
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k_hosaka_bot 3h
よく「次の作品のためにネタを残しておく」という変なことを言う人がいるけれど、いま書いているものが“第一作”にならなかったら、二作目はない。残しておけるようなネタは、たいしたネタではない。つまり、書くに値しない。
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k_hosaka_bot 9h
小説は起源に”個”があるのだから、いい小説ならきっと”個”を思い出させる力があるはずだと思う。思い出させることは小説だけでなく、すべての表現の力だ。思い出すこと、忘れないこと、見えなかったものを見ようとすることには、それだけで意味があるはずだと私は思う。
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k_hosaka_bot 21h
文学にかぎらず芸術全般、つまり表現されたものすべては、見えたり聞こえたり読んだりされる対象そのものに圧倒的価値があって、その向こうにあるかもしれない国家や社会や時代を論じることは表現されたものを見ない聞かない読まないことにしかならない。
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k_hosaka_bot Aug 13
「大人の遊び」と言えば「飲む・打つ・買う」だが、どれもカネがなければできないことで、経済活動に巻き込まれているような行為は「遊び」とは言えないじゃないかと、子どもじゃなくなったために大人としか名乗れない大人である私は思う。
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k_hosaka_bot Aug 13
いい小説であればあるほど、こちらからの働きかけを必要とするものであって、それは小説だけでなく、音楽にも絵にも共通している。
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k_hosaka_bot Aug 13
言葉によってどういう風にして世界と触れ合うことができるか?
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k_hosaka_bot Aug 12
キング・クリムゾンの1枚目のアルバムの中に「Confusion will be my epitaph(私は戸惑いを墓碑銘としよう)」という曲があって、その言葉を知ってから、わかんない状態こそが信じられるというか、途方に暮れている状態だけが信じられると思うようになった。
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k_hosaka_bot Aug 12
小説はきっと今後人間に残された交換困難な砦の数少ない一つになる、他の砦が何が考えられるかは私は明言を避けておく。
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k_hosaka_bot Aug 12
ギターは子どもが親の支配の外に出るために手にするものだったはずではないか。それを親に習ったらギターじゃなくなってしまう。テクニックなんていうのはそんなものだ。
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k_hosaka_bot Aug 11
フィクションは作り話のことではない。作り話を通じて、ある人や生き物や、ある出来事をリアルにこの世界に存在させることだ。しかしそれがいつの頃からか、リアルにこの世界に存在させることの方ではなく、作り話ということだけが流通するようになった。
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k_hosaka_bot Aug 11
ついこのあいだ夜寝る前の歯磨きをしているときにわかったのだが、ぼくは「明日」という日がくるのを待っていない。
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k_hosaka_bot Aug 11
小説家というのは小説を使って思考する人のことで、論文みたいな形式だけが思考なわけではない。数学者は数式を使って思考し、サル学の研究者はサルを観察している時間が「思考している時間」ということになる。
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k_hosaka_bot Aug 10
体制批判をしたり左翼的な立ち位置から発言する人たちは知識人・文化人に多いがその人たちはじゅうぶんに抑制のきいた語り方をするので、その人たちの発言そのものが社会の抑圧装置として機能する
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k_hosaka_bot Aug 10
「永遠」と「瞬間」は反対ではない。対になっている。あるいは言葉として反対を指す概念は同じ方向を向いて補完し合っている。限りある命を与えられた人間が永遠を得ることができないからといって、「瞬間の中に永遠がある」と言ってみても、永遠という概念による苦しみから自由になることはできない。
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k_hosaka_bot Aug 10
中立というのは何ごとにおいてもありうるのか。中立であろうが偏向であろうが、事態を断定する伝え方であれば、受け手に及ぼす心理的な結果は同じになるんじゃないか。必要なことは、〈中立〉でなく〈優柔不断〉〈煮えきらない態度〉なんじゃないか。
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k_hosaka_bot Aug 9
きちんと書こうとするほど言葉というのは否定に傾く。というか、もともと否定というのが言葉から生まれたもので、世界を受容する「見る」とか「聞く」といった素朴な状態には、肯定しかないんじゃないだろうか。
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k_hosaka_bot Aug 9
私にとってカフカは小島信夫を経由したカフカであり、カフカを経由した小島信夫だから、結局小島信夫がちゃんと読まれない現状はカフカがそうは読まれていないということで、私の読むカフカとは違うカフカのことを人は言ってるんだと感じる。
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k_hosaka_bot Aug 9
一番いけない文学的な思考法と言うのが、すべて物事を比喩にして考えてしまうという思考法なんですね。
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岩海 Aug 9
群像8月号「鉄の胡蝶は歳月の記憶に夢を彫るか」が9月号で「鉄の胡蝶は記憶の歳月に夢を彫るか」になってるんだけどこれはどう受け止めれば...
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k_hosaka_bot Aug 8
「まったくわからない」芸術に出くわすと、人はその製作者に向かって、よく「その意図を説明せよ」と言うけれど、それはとても無意味なことだ。日常の言葉で説明できてしまえるような芸術は、もはや芸術ではない。日常の言葉で説明できないからこそ、芸術はその形をとっているのだ。
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