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保坂和志bot
保坂さんの書いたもの、しゃべったことからの抜粋(95年頃からごく最近のものまで)を朝昼晩にお送りしております/ときどき関連RTもします/作成 /読書会(ていうかサロン)はこちら
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保坂和志bot 5h
やっぱり他の人から賛同されない考え方って持ちにくいじゃん。それで、紋切り型の考えのほうに自分の考えをつけてしまって、それが権威を強化することになってしまう。
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保坂和志bot 11h
激しい運動として書いたり、抽象的概念を喚び寄せたり、そこに経験や知識や、あるいは書き手自身の世界に対する手触りといったものを重ね合わせなければ書けないのが風景で、それが小説家の「身体」なのだ。
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なかしませいや Jun 21
『やれたかも委員会』の帯にまさかの保坂和志!
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吉田貴司 Jun 20
アマゾンで書影が出ました。こんな表紙。帯はなんと小説家の保坂和志さんに頂きました。私が20代の頃から好きな作家でまさかの対談が実現しました。対談は単行本に収録されます!!むちゃくちゃいい話聞いたんで是非チェックしてください!
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保坂和志bot 17h
人間は内側からしか知ることができない。これは「世界は俯瞰できない」などと同じ意味だ。何か対象について考えるためには冷静である必要があるといまだに多くの人に誤解されているが、知ろうとする人間を対象の位置ではなく、当事者と同じ時間を生きようとしなければ人間を知ることはできない。
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保坂和志bot Jun 22
一つの小説や映画についてあっさりと的確なことを語って、次の小説や映画へとさっさと移っていくことは思考の機能不全でしかないと考えること。音楽は好きになったら何度でも聴く。それに終わりはない。終わりがきたとしたら、それはその音楽に飽きたということだ。
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保坂和志bot Jun 21
小説家にとっていちばん真摯に受けとめたい読者は、レビューを書く人ではなくて「ただただちゃんと読む人」なんです。評価しようという読みかたはだめだし、読んだあとにすぐにレビューを書こうと思う読みかたもだめなんです。
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保坂和志bot Jun 21
小説というのは言葉を、論理的な意味として使ったり、メッセージを伝えるために使ったりするものではない。そうではなくて、小説では言葉を絵のように使ったり、音のように使ったりする。歩くように使ったりもする。
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kandachi Jun 20
『やれたかも委員会』単行本の帯に保坂和志が寄せた「やれてない。」に笑ってしまった。続きが冴えてて「でも、心に大事に取っておくべき夜がある」 保坂和志の小説の良さとやれたかも委員会の良さに接点を見出して対談組んだのかな。
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やれたかも委員会公式アカウント Jun 20
たった今、見本が営業部に届きました!帯もつくとよりいい感じじゃないでしょうか!? 帯を見てお気付きの方もいるかもしれませんが、なんと作家の保坂和志先生のコメント入りです!実は吉田さんとの対談が収録されているのです!意外な組み合わせ!
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保坂和志bot Jun 21
文字を書く職業たる文学者や哲学者は言い回しを比喩の次元でとらえることが実に多く、その悪影響はそれ以外のふつうの人たちのふだんの会話にまで及んでいる。その人たちは本当に大事な受け入れがたいことまで比喩として聞いてしまう。
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保坂和志bot Jun 20
好きな人がいるとき人は誰でも、目に映るものや自分が今していることをその人に向かって、逐一ツイートしてないか。ツイートする宛て先がいるから、目に映る風景も自分が今していることも光度を増したり新鮮になったりする。
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保坂和志bot Jun 20
誰にとっても〈私〉はかけがえがない。すべての人は〈私〉というフィルターを通してしか見たり聞いたりすることができない。しかしそれを原理として認めれば認めるほど、自分以外の〈私〉の見たり聞いたりする経験は自分自身の経験と別の次元にあるものとなってしまう。
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保坂和志bot Jun 20
一番いけない文学的な思考法と言うのが、すべて物事を比喩にして考えてしまうという思考法なんですね。
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保坂和志bot Jun 19
小説ってもともとモチーフから始まるんです。だから、自分の気持ちだけを吐き出すようなものしか書けない人は、人に読まれる文章書きになれない。
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保坂和志bot Jun 19
私の関心というのは、ひとつは「小説の理想形」みたいなことだ。それはカフカの『城』とかガルシア=マルケスの『百年の孤独』というような具体的な作品のことではたぶんなくて、そういう小説を読んでいるあいだに訪れる、高揚感というよりももっと大きな、思考がバーッと開かれるような経験のことだ。
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保坂和志bot Jun 19
「死」と「老い」について考えることは、文化の核のはずで、そこに最も豊かな思索が息づいているのではないだろうか。
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保坂和志bot Jun 18
書くときに必要な計算があるとしたら、「これを書けば事前の計算を超えるだろう」という計算だ。
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保坂和志bot Jun 18
作者という生徒が読者という先生に褒められるように書く。その一方、読者という生徒が作者という先生の意図を斟酌してそれにすすんで従う。ほとんどすべての作者と読者はこの、生徒根性の中で書いて読む。
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保坂和志bot Jun 18
小説家は小説という形ある作品を書く。これが自分にもまわりにも大きな錯覚の元で、「作品だから(後世に)残る」と考える。しかし作品は残らない。百年経って残っている作品がどれだけあるか? ということではない。作品はすでに残らない。
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