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忘却散人(近世文学)
国際的に活躍している理系出身の立派な方が「私は人文学をちっとも学んでなく、歴史もほとんど知らず、外国の人に会う前には、ネットでその国の歴史を10分学べばOKだった。人文学必要論は人文学の中だけで通用するセールストークでは?」みたいなことを言われているのですが、それにどう反論する?
忘却散人(近世文学) 11月23日
返信先 @iikurayoichi
「人文学の教養もないし、人文学に全く興味なさそうな人が、国の首相を務めている場合もあるし」、とも言っておられるのですが・・・。ま、これは少し話つくってますが、大筋こういうところなんですわ。逆に人文学学んだからって、人格的にどうか?って人いっぱいいるし。まあ、反論はできると思うが。
飯島明子 11月23日
返信先 @iikurayoichi
人格と学問とは無関係だと思います。しかし人文系の素養がある程度あった方が、知らずに失礼なことをやらかす恐れが少なくなるのではないでしょうか。
飯島明子 11月23日
返信先 @iikurayoichi
例えば(歴史ではありませんが)、文化人類学について少し知っていれば、全く異なる食習慣の地域の人とも和やかに食卓を囲むことができると同時に、食習慣の差異をあげつらうような事を一言でも言ったら関係が破綻しかねないことも理解できますし。
肥和野 佳子 14 時間
狭い世界だけで生きている人はそれでもいいけど、例えば国の政治を司るリーダーや企業のトップなどがそれでは困るね。温故知新は確かにあるし、地理がわかってなかったら戦略も組めんしね。
忘却散人(近世文学) 13 時間
返信先 @a_iijimaa1
「無関係」。つくづくそう思います。人文学を学ぶ者としてはちょっと悲しいことですが、当たり前のことですから仕方ありません。
飯島明子 9 時間
返信先 @iikurayoichi
人格は学問と別次元のことですが(高等教育を受けていなくても素晴らしい人がいるように)、あらゆる学問・あらゆる専門・あらゆる仕事を通して向上できるという所に人間の希望があるのだと思います。
K K 7 時間
返信先 @iikurayoichi
人文学の人たちからはしかるべき反論があると思いますが、理系の人が上記のように認識してるとしたら、それは、理系学生が4年間(ないしは6年間)眠る時間を削ってみっちりと勉強している間に、多くの人文系学生がほぼ授業にも出ずに卒業していったことの印象が強烈すぎるからかもしれませんね。