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宮崎タケシ
宇崎ちゃんとみかんの問題で、オタク界隈とフェミ界隈で絶望的なまでに会話が成立していない理由がやっとわかった。フェミ側は抑圧された弱者の立場から要求しているのだが、オタク側そのものが抑圧された弱者で、強者による弾圧と認識しているわけだ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
②これ、フェミ側は「大昔から続く男目線の広告」に異議を申し立てている認識なのだろうが、オタク側から見れば「長年かけてようやく市民権を得てきた表現に対する理不尽な攻撃」と受け止める。偏見と差別にさらされてきた歴史があるから。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
③実際、7年前までアニメ等の「表現の自由」なんて主張するのもはばかられた。2011年に単純所持規制案を潰した時、複数の国会議員から「規制には反対するが、そのことは秘密で」と言われた。表に出られたのは私と松浦大悟さんくらい。13年に山田太郎氏が得票を可視化してから雰囲気は変わった。
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
④20代の頃、コミケに何回か行った。晴海と幕張の時代。非エロ同人を作っていた友人に誘われたのだが、友人はサークル仲間から「可哀想だから一般人(僕のこと)を巻き込むな」と釘を刺された。全年齢ジャンルすら差別の対象だったのは残念ながら事実だ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑤第一、大手企業や政府機関などのパブリックな広告なりに、いわゆる萌え絵やオタク向け作品のキャラが使われるようになったのは、さほど昔ではない。長くても20年ほど、目立つようになったのはここ10年ほど。「大昔からの男目線」とはちょっと違う。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑥現実に、「陰茎で障子紙を破る」ほどの道徳に挑戦する作品を手がけていた元作家の東京都知事が、「実写よりも厳しいルール」で漫画の非道徳的な表現を制約しようとした負の歴史もある。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑦要は、萌え絵などが一般広告に起用されるのは、オタク界隈から見れば自分たちが市民社会に受け入れられるということであって、それを守ろうとするのは、大げさにいえば「公民権運動」なのだ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑧「オタクはただエロい絵が見たいだけでしょ」という意見もあるだろう。それが事実だと仮定しても、まちなかの広告で見たいという人は、ほとんど存在しない。公共スペースからの排除に反発するのは、まさに政治的な意味を感じ取っているからだ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑨まちなかの広告に何がふさわしいか否かに、明確な基準など存在し得ない。その時々の社会常識に応じて判断されるだけだ。ただ、最低でもその許容ラインは「実写よりも緩い」ところに引かれるべきだとは思う。実物ではないのだから当たり前だ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑩いずれにせよ、フェミとオタクで言葉が通じないのは好ましいことではない。通じさせるためには「オタクが抑圧された弱者であった」という認識くらいは共有しないといけない。乳袋とかスカートの皺とか、そういうレベルの問題ではないのだ。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑪この不毛な争いを解決するには、パブリックな広告に、ボーイズラブ作品を多用させるのも手だ。宗教家は怒り、オヤジはまゆをひそめ、フェミ勢はスタンスを試され、さまざまな事象が相対化される。萌え絵よりさらに市民権はないが、商業的には成立するはず。   
宮崎タケシ 2月17日
返信先: @MIYAZAKI_Takesh
⑫全方位から怒られそうだけれども、私はフェミ側の主張を単なる言いがかりだと思っているわけではない。「一理ある」し、もちろん主張は自由だ。反論も自由だ。主張と反論の間で着地点を見つければよいだけだが、言葉が通じなければ着地点も見つかるまい。